ショパンのコンサート
ショパンは公開のコンサートを好まなかったことはよく知られているが、それでも少なくとも50回のコンサートに出演しており、これについてアトウッドがその著:ピアニスト・ショパンに記しているので、ここに一覧表として紹介することにする。 *ピアニストとして独奏会を開き、それをリサイタルと名付けたのはリストが最初であるといわれている。 ショパンは幼少の頃からピアノ演奏に秀で、即興演奏も得意であったし、5才の頃から作曲を手がけている。その神童ぶりがワルシャワで評判となり、「ポーランドのモーツアルト」といわれるようになった。 ワルシャワの社交界の寵児となったショパンは、何回かコンサートを開いているが(表の番号2〜5、10〜14)、 妹エミリアの療養のために保養地ライネルツに滞在中、母親を亡くした遺児のために義捐金募集のための有料のコンサートを開いている。その後、パリやロンドンでもポーランド難民救済のための慈善演奏会に出演している。 また、ワルシャワの職人が発明したアエロメロディコン、アエロパンタレオンというオルガン(風琴)とピアノの合の子のような楽器を弾いたことが記録に残されている(4,5)。 1829年にはウイーンで2回コンサートを開いたが(8,9)、独創的な音楽と優れた演奏はともかく音が小さくてよく聞こえなかったと不評を買った。しかし、すでにピアニストよりも作曲家を目指していたショパンはそのような批評を気にとめなかった(家族への手紙(8/8/1829)参照)。 ワルシャワに別れを告げて、西へ旅発ったショパンは、ブレスラウを経てウイーンに行き、そこで2回コンサートを開いたが(16,17)、政治情勢やポーランド人に対する偏見もあって、ここは居心地が悪く、洗練されたタッチは高く評価されたとはいえ、ウイーンに見切りを付けてパリへと向かう。 パリに到着して最初のコンサートはカルクブレンナーの斡旋によるものだった(19)。その後、ヒラー、ヘルツ、ベルリオーズ、リスト達が企画したコンサートに共演している(21以降)。これらはいずれも数人のアーティストが出演するというスタイルのコンサートであった。 その他、国王ルイ・フィリップの招待による王宮でのコンサートやイギリスのヴィクトリア女王の御前演奏なども行った(35,38,44)。 1835年のイタリア劇場でのコンサート(30)が不評であったことにショパンは傷ついて、その後大ホールでの演奏は引き受けなかった。唯一の例外はルーアンでのコンサート(37)で、これは友情出演であった。 自ら企画したコンサートはごく僅かで、晩年にイギリスで生活費を得るために開いたものが多いというのも哀しい。 なお、ショパンが演奏した自作曲について、特定できるものについてはリンクした。 |
期日 |
地名 |
会場 |
曲目 |
備考 |
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1 |
1818年2月24日 | ワルシャワ | ラジヴィーウ公邸 |
ギロヴェッツ作曲ピアノ協奏曲 ホ短調 | 貧民救済コンサート |
2 |
1823年2月24日 | 慈善教会 | リース作曲ピアノ協奏曲 | ||
3 |
1825年5月中旬 | プロテスタント教会 | アエロメロディコン | ||
4 |
1825年5月27日 | 音楽院 | モシェレス作曲ピアノ協奏曲第1楽章、アエロパンタレオン*による幻想曲 | *アエロメロディコンとピアノを掛け合わせた雑種の楽器 | |
5 |
1825年6月10日 | 音楽院 | 同上 | ||
6 |
1826年8月11日 | ライネルツ | クア・ホール | 不明 | 遺児義捐金募集のための慈善演奏会 |
7 |
1826年8月16日 | ライネルツ | クア・ホール | 不明 | |
8 |
1829年8月11日 | ウイーン | ケルントナートール劇場 | 変奏曲作品2、ボアルディユー作曲「白衣の婦人」とポーランド民謡「チミエル」を主題とした幻想曲 | |
9 |
1829年8月18日 | ウイーン | ケルントナートール劇場 | 変奏曲作品2。クラコヴィアーク風のロンド作品14 | |
10 |
1829年12月19日 | ワルシャワ | 商業会館 | ダムゼ作曲「ミオティキ」からの主題による即興演奏 | |
11 |
1830年3月17日 | 国民劇場 | ピアノ協奏曲作品21、ポーランド民謡による大幻想曲作品13 | ||
12 |
1830年3月22日 | 国民劇場 | ピアノ協奏曲作品21,クラコヴィアーク風のロンド作品14 | ||
13 |
1830年7月8日 | 国民劇場 | 不明 | バーバラ・マイヤーの依頼 | |
14 |
1830年10月11日 | 国民劇場 | ピアノ協奏曲作品11、ポーランド民謡による大幻想曲作品13 | コンスタンツィア・グアドコフスカ出演 | |
15 |
1830年11月8日 | ブレスラウ | 商業会館 | モシェレス作曲ピアノ協奏曲第3楽章、オーベール作曲「ポルティナの唖娘」からの主題による即興演奏 | 飛び込みの依頼 |
16 |
1831年4月4日 | ウイーン | レドーテン・ホール | ピアノ協奏曲作品11の1部(伴奏なし) | |
17 |
1831年6月2日 | ケルントナートール劇場 | ピアノ協奏曲作品11 | 慈善コンサートの付け足し | |
18 |
1831年8月28日 | ミュンヘン | フィルハーモニック協会ホール | ピアノ協奏曲作品11、ポーランド民謡による大幻想曲作品13 | |
19 |
1832年2月26日 |
パリ |
プレイエル・ホール |
ピアノ協奏曲作品11、変奏曲作品2、カルクブレンナー作曲「6台のピアノのための序奏と行進曲付き大ポロネーズ」* |
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20 |
1832年5月20日 | パリ音楽院 | ピアノ協奏曲作品21第1楽章 |
コレラ犠牲者のための慈善演奏会 | |
21 |
1833年3月23日 | ヴォークソール・ホール | バッハ作曲「3台のピアノのための協奏曲* | ヒラー主催のコンサート *ショパン、リスト、ヒラー |
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22 |
1833年3月30日 | ラフォン邸 | メルー作曲の連弾曲 | メルーの企画による | |
23 |
1833年4月2日 | イタリア劇場 | リストと2重奏 | ハリエット・スミスソン救済コンサート | |
24 |
1833年4月3日 | ヴォークソール・ホール | ヘルツ作曲マイエルベールのオペラ「エジプトの十字軍」の主題による8手のピアノ曲。ヘルツの兄ジャックとの連弾。 | ヘルツの依頼による。リスト参加。 | |
25 |
1833年12月15日 | パリ音楽院 | J. S. バッハ作曲「3台のピアノのための協奏曲」 | ショパン、リスト、ヒラー | |
26 |
1834年12月7日 | ピアノ協奏曲作品21第2楽章 | ベルリオーズ主催のハリエット・スミスソン救済コンサート | ||
27 |
1834年12月25日 | フランツ・ステペル音楽学校 | リスト作曲「2台のピアノのための大2重奏曲、モシェレス作曲「連弾のためのピアノ2重奏曲 | リストと共演 | |
28 |
1835年2月22日 | エラール・ホール | ヒラー作曲「ピアノ2重奏曲」 | ヒラー主催のコンサート ヒラーと共演 |
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29 |
1835年3月15日 | プレイエル・ホール | カルクブレンナー作曲「6台のピアノのための序奏と行進曲付き大ポロネーズ」 | スタマティーという若手ピアニストのデビューコンサート | |
30 |
1835年4月4日 | イタリア劇場 | ピアノ協奏曲作品11 | ツァルトリスキ夫人主催ポーランド亡命者救済演奏会 | |
31 |
1835年4月26日 | パリ音楽院 | アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22 | アブネック指揮の音楽院演奏協会コンサート | |
32 |
1836年2月7日 | Dr. レヴィ教授邸 | モシェレス作曲「4手のためのソナタ」 | 招待者の夜会 | |
33 |
1836年4月21日 | フランス帝政元老院サロン |
ワルツ | ドカズ伯爵主催のコンサート | |
34 |
1837年4月9日 | エラール・ホール | リスト作曲「連弾のための大ワルツ」、 |
リストお別れ演奏会 | |
35 |
1838年2月16日 | チュイルリー宮 | 王妃からの主題による即興演奏 | ルイ・フィリップの依頼 | |
36 |
1838年3月3日 | パペ氏邸サロン | ベートーヴェン作曲「交響曲第7番」より第2楽章、終楽章* | アルカン主催のコンサート *アルカン、グートマン、ジメルマンと共演 |
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37 |
1838年3月11日 | ルーアン | オテル・ド・ヴィル | ピアノ協奏曲第2番 | オルロウスキ救済コンサート |
38 |
1839年10月29日 | パリ | サン・クルー王宮 | ノクターンとエチュードのメドレー、グリザの「狂人」からの抜粋を主題とした即興演奏 |
ルイ・フィリップの招待 |
39 |
1841年4月26日 | プレイエル・ホール | バラード第2番作品38、プレリュード、エチュ−ド、ノクターン、マズルカ | ショパンの企画 | |
40 |
1841年12月1日 | チュイルリー宮 | バラード第3番作品47、即興演奏 | ルイ・フィリップの招待 | |
41 |
1842年2月21日 | プレイエル・ホール | アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、バラード第3番作品47、ノクターン作品48の2,27の2,15の1他1曲、プレリュード作品28の15、エチュード作品25の1,2,12,マズルカ3曲、即興曲第3番作品51、ポーリーヌ・ヴィアルドの歌曲の伴奏 | ショパンの企画 | |
42 |
1843年1月11日 | ジェームス・ロスチャイルド男爵邸 | ピアノ協奏曲作品11* | *フィルチが弾きショパンはオーケストラパートで伴奏 | |
43 |
1848年2月16日 | プレイエル・ホール | モーツアルト作曲「ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための3重奏曲*、ノクターン、舟歌、エチュード、子守歌、ピアノとチェロのためのソナタ作品65、プレリュード、マズルカ、ワルツ | *ショパン、アラール、フランコーム | |
44 |
1848年5月15日 | ロンドン | スタッフォード・ハウス | マズルカ、ワルツ、変奏曲作品2(2台のピアノ) | ヴィクトリア女王御前演奏 |
45 |
1848年6月23日 | アデライーデ・サートリウス夫人邸 | ノクターン、バラード第2番作品38、アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、マズルカ2曲、ワルツ2曲、即興曲、子守歌 | ||
46 |
1848年7月7日 | ファルマス卿邸 | アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、スケルツオ第2番作品31、マズルカ*、エチュード作品25の7,1,2,ノクターン、子守歌、プレリュード、マズルカ、バラード作品38、ワルツ | *ヴィアルド編曲の歌曲 | |
47 |
1848年8月28日 | マンチェスター | ジェントルマン音楽ホール | アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、スケルツオ第2番作品31、ノクターン作品9の2,エチュード作品25の7,2,1,子守歌 | |
48 |
1848年9月27日 | グラスゴー | 商業会館ホール | アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、即興曲作品36、エチュード作品25の7,2,1、ノクターン作品27の2、55の1,子守歌、プレリュード作品28、バラード作品38、マズルカ作品7の5,ワルツ作品64 | |
49 |
1848年10月4日 | エジンバラ | ホープトーン・ホール | アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、即興曲作品36、エチュード作品25の7,2,1、ノクターン作品27の2、55の1,子守歌、プレリュード作品28、バラード作品38、マズルカ作品7の5,ワルツ作品18 | |
50 |
1848年11月16日 | ロンドン | ギルドホール | 小曲 | ポーランド難民救済舞踏会 |