ショパンのコンサート

ショパンは公開のコンサートを好まなかったことはよく知られているが、それでも少なくとも50回のコンサートに出演しており、これについてアトウッドがその著:ピアニスト・ショパンに記しているので、ここに一覧表として紹介することにする。
当時のコンサートではオーケストラ曲の他何人かの演奏者がピアノコンチェルトを弾いたり歌曲を歌うのが常だった。ピアノコンチェルトは現代のように全楽章を続けて弾かず、第1楽章の後に歌曲のソロなどが入り、休憩の後に残りの楽章を弾いていた。
表ではショパンの演奏曲目だけを記してある。

*ピアニストとして独奏会を開き、それをリサイタルと名付けたのはリストが最初であるといわれている。

ショパンは幼少の頃からピアノ演奏に秀で、即興演奏も得意であったし、5才の頃から作曲を手がけている。その神童ぶりがワルシャワで評判となり、「ポーランドのモーツアルト」といわれるようになった。
ショパンの第1回のコンサートはこのような雰囲気の下で開かれた。その時の印象を母から尋ねられて、「お母さんが作ってくれた白いカラーが受けたよ」と答えたというエピソードは有名である。
当時高名な歌手アンジェラ・カタラーニが1820年にワルシャワでコンサートを開いたとき、 天才少年と紹介されたショパンに金時計を与え、ショパンは死ぬまでそれを大切に保管していた。

ワルシャワの社交界の寵児となったショパンは、何回かコンサートを開いているが(表の番号2〜5、10〜14)、 妹エミリアの療養のために保養地ライネルツに滞在中、母親を亡くした遺児のために義捐金募集のための有料のコンサートを開いている。その後、パリやロンドンでもポーランド難民救済のための慈善演奏会に出演している。

また、ワルシャワの職人が発明したアエロメロディコン、アエロパンタレオンというオルガン(風琴)とピアノの合の子のような楽器を弾いたことが記録に残されている(4,5)。

1829年にはウイーンで2回コンサートを開いたが(8,9)、独創的な音楽と優れた演奏はともかく音が小さくてよく聞こえなかったと不評を買った。しかし、すでにピアニストよりも作曲家を目指していたショパンはそのような批評を気にとめなかった(家族への手紙(8/8/1829)参照)。

ワルシャワに戻ってから、ここを去るまでの2年間に開いたコンサートでは、自作の2つのコンチェルトその他オーケストラつきの作品を演奏して、ショパンが卓越したピアニストであると共に独創的な作曲家であることを印象づけた。

ワルシャワに別れを告げて、西へ旅発ったショパンは、ブレスラウを経てウイーンに行き、そこで2回コンサートを開いたが(16,17)、政治情勢やポーランド人に対する偏見もあって、ここは居心地が悪く、洗練されたタッチは高く評価されたとはいえ、ウイーンに見切りを付けてパリへと向かう。
その途上、父親からの送金待ちで滞在したミュンヘンでコンサートを開き、賞賛を得る(18)。

パリに到着して最初のコンサートはカルクブレンナーの斡旋によるものだった(19)。その後、ヒラー、ヘルツ、ベルリオーズ、リスト達が企画したコンサートに共演している(21以降)。これらはいずれも数人のアーティストが出演するというスタイルのコンサートであった。

その他、国王ルイ・フィリップの招待による王宮でのコンサートやイギリスのヴィクトリア女王の御前演奏なども行った(35,38,44)。

1835年のイタリア劇場でのコンサート(30)が不評であったことにショパンは傷ついて、その後大ホールでの演奏は引き受けなかった。唯一の例外はルーアンでのコンサート(37)で、これは友情出演であった。

自ら企画したコンサートはごく僅かで、晩年にイギリスで生活費を得るために開いたものが多いというのも哀しい。 

なお、ショパンが演奏した自作曲について、特定できるものについてはリンクした。

 

 

期日
地名
会場
曲目
備考
1
1818年2月24日 ワルシャワ

ラジヴィーウ公邸

ギロヴェッツ作曲ピアノ協奏曲 ホ短調 貧民救済コンサート
2
1823年2月24日   慈善教会 リース作曲ピアノ協奏曲  
3
1825年5月中旬   プロテスタント教会   アエロメロディコン
4
1825年5月27日   音楽院 モシェレス作曲ピアノ協奏曲第1楽章、アエロパンタレオン*による幻想曲 *アエロメロディコンとピアノを掛け合わせた雑種の楽器
5
1825年6月10日   音楽院 同上  
6
1826年8月11日 ライネルツ クア・ホール 不明 遺児義捐金募集のための慈善演奏会
7
1826年8月16日 ライネルツ クア・ホール 不明  
8
1829年8月11日 ウイーン ケルントナートール劇場 変奏曲作品2、ボアルディユー作曲「白衣の婦人」とポーランド民謡「チミエル」を主題とした幻想曲  
9
1829年8月18日 ウイーン ケルントナートール劇場 変奏曲作品2。クラコヴィアーク風のロンド作品14  
10
1829年12月19日 ワルシャワ 商業会館 ダムゼ作曲「ミオティキ」からの主題による即興演奏  
11
1830年3月17日   国民劇場 ピアノ協奏曲作品21、ポーランド民謡による大幻想曲作品13  
12
1830年3月22日   国民劇場 ピアノ協奏曲作品21,クラコヴィアーク風のロンド作品14  
13
1830年7月8日   国民劇場 不明 バーバラ・マイヤーの依頼
14
1830年10月11日   国民劇場 ピアノ協奏曲作品11、ポーランド民謡による大幻想曲作品13 コンスタンツィア・グアドコフスカ出演
15
1830年11月8日 ブレスラウ 商業会館 モシェレス作曲ピアノ協奏曲第3楽章、オーベール作曲「ポルティナの唖娘」からの主題による即興演奏 飛び込みの依頼
16
1831年4月4日 ウイーン レドーテン・ホール ピアノ協奏曲作品11の1部(伴奏なし)  
17
1831年6月2日   ケルントナートール劇場 ピアノ協奏曲作品11 慈善コンサートの付け足し
18
1831年8月28日 ミュンヘン フィルハーモニック協会ホール ピアノ協奏曲作品11、ポーランド民謡による大幻想曲作品13  
19

1832年2月26日

パリ

プレイエル・ホール

ピアノ協奏曲作品11、変奏曲作品2、カルクブレンナー作曲「6台のピアノのための序奏と行進曲付き大ポロネーズ」*

*カルクブレンナー、スタマティ、ヒラー、オズボーン、ソヴィンスキと共演

20
1832年5月20日   パリ音楽院

ピアノ協奏曲作品21第1楽章

コレラ犠牲者のための慈善演奏会
21
1833年3月23日   ヴォークソール・ホール バッハ作曲「3台のピアノのための協奏曲* ヒラー主催のコンサート
*ショパン、リスト、ヒラー
22
1833年3月30日   ラフォン邸 メルー作曲の連弾曲 メルーの企画による
23
1833年4月2日   イタリア劇場 リストと2重奏 ハリエット・スミスソン救済コンサート
24
1833年4月3日   ヴォークソール・ホール ヘルツ作曲マイエルベールのオペラ「エジプトの十字軍」の主題による8手のピアノ曲。ヘルツの兄ジャックとの連弾。 ヘルツの依頼による。リスト参加。
25
1833年12月15日   パリ音楽院 J. S. バッハ作曲「3台のピアノのための協奏曲」 ショパン、リスト、ヒラー
26
1834年12月7日     ピアノ協奏曲作品21第2楽章 ベルリオーズ主催のハリエット・スミスソン救済コンサート
27
1834年12月25日   フランツ・ステペル音楽学校 リスト作曲「2台のピアノのための大2重奏曲、モシェレス作曲「連弾のためのピアノ2重奏曲 リストと共演
28
1835年2月22日   エラール・ホール ヒラー作曲「ピアノ2重奏曲」 ヒラー主催のコンサート
ヒラーと共演
29
1835年3月15日   プレイエル・ホール カルクブレンナー作曲「6台のピアノのための序奏と行進曲付き大ポロネーズ」 スタマティーという若手ピアニストのデビューコンサート
30
1835年4月4日   イタリア劇場 ピアノ協奏曲作品11 ツァルトリスキ夫人主催ポーランド亡命者救済演奏会
31
1835年4月26日   パリ音楽院 アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22 アブネック指揮の音楽院演奏協会コンサート
32
1836年2月7日   Dr. レヴィ教授邸 モシェレス作曲「4手のためのソナタ」 招待者の夜会
33
1836年4月21日  

フランス帝政元老院サロン

ワルツ ドカズ伯爵主催のコンサート
34
1837年4月9日   エラール・ホール

リスト作曲「連弾のための大ワルツ」、
なお、リストはショパンの未発表のエチュードを弾いた

リストお別れ演奏会
35
1838年2月16日   チュイルリー宮 王妃からの主題による即興演奏 ルイ・フィリップの依頼
36
1838年3月3日   パペ氏邸サロン ベートーヴェン作曲「交響曲第7番」より第2楽章、終楽章* アルカン主催のコンサート
*アルカン、グートマン、ジメルマンと共演
37
1838年3月11日 ルーアン  オテル・ド・ヴィル ピアノ協奏曲第2番 オルロウスキ救済コンサート
38
1839年10月29日 パリ サン・クルー王宮

ノクターンとエチュードのメドレー、グリザの「狂人」からの抜粋を主題とした即興演奏

ルイ・フィリップの招待
39
1841年4月26日   プレイエル・ホール バラード第2番作品38、プレリュード、エチュ−ド、ノクターン、マズルカ ショパンの企画
40
1841年12月1日   チュイルリー宮 バラード第3番作品47、即興演奏 ルイ・フィリップの招待
41
1842年2月21日   プレイエル・ホール アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、バラード第3番作品47、ノクターン作品48の227の215の1他1曲、プレリュード作品28の15、エチュード作品25の1212,マズルカ3曲、即興曲第3番作品51ポーリーヌ・ヴィアルドの歌曲の伴奏 ショパンの企画
42
1843年1月11日   ジェームス・ロスチャイルド男爵邸 ピアノ協奏曲作品11* *フィルチが弾きショパンはオーケストラパートで伴奏
43
1848年2月16日   プレイエル・ホール モーツアルト作曲「ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための3重奏曲*、ノクターン、舟歌、エチュード、子守歌、ピアノとチェロのためのソナタ作品65、プレリュード、マズルカ、ワルツ *ショパン、アラール、フランコーム
44
1848年5月15日 ロンドン スタッフォード・ハウス マズルカ、ワルツ、変奏曲作品2(2台のピアノ) ヴィクトリア女王御前演奏
45
1848年6月23日   アデライーデ・サートリウス夫人邸 ノクターン、バラード第2番作品38、アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、マズルカ2曲、ワルツ2曲、即興曲、子守歌  
46
1848年7月7日   ファルマス卿邸 アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、スケルツオ第2番作品31、マズルカ*、エチュード作品25の7,1,2,ノクターン、子守歌、プレリュード、マズルカ、バラード作品38、ワルツ *ヴィアルド編曲の歌曲
47
1848年8月28日 マンチェスター ジェントルマン音楽ホール アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、スケルツオ第2番作品31、ノクターン作品9の2,エチュード作品25の7,2,1,子守歌  
48
1848年9月27日 グラスゴー 商業会館ホール アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、即興曲作品36、エチュード作品25の7,2,1、ノクターン作品27の2、55の1,子守歌、プレリュード作品28、バラード作品38、マズルカ作品7の5,ワルツ作品64  
49
1848年10月4日 エジンバラ ホープトーン・ホール アンダンテスピアナートと大ポロネーズ作品22、即興曲作品36、エチュード作品25の7,2,1、ノクターン作品27の2、55の1,子守歌、プレリュード作品28、バラード作品38、マズルカ作品7の5,ワルツ作品18  
50
1848年11月16日 ロンドン ギルドホール 小曲 ポーランド難民救済舞踏会