ショパンの手紙
ショパンが家族や友人宛に書いた手紙や貰った手紙は現在1000通にも垂んとするほど蒐集されています。有名なのはエドゥアルド・シドフ、アーサー・ヘドレイの手になる書簡集です。また、これはポーランド語で書かれているので私には読むことができませんが、Krystyna Kobylanska に依るコレクションが有名です。なお、彼女はショパンの作品のカタログも作っていて、KK 何番という風に番号付けをしています。
これらに採録されている手紙の全てに目を通すことはできませんが、できる限りの範囲で読んでいても、これは読み物としても面白いと感じます。ショパンは自分が書いた手紙が後世他人の目に曝されるなどとは夢にも思っていなかったから、率直に自分の感想や意見を述べているのです。
子供の頃から手紙を書くのが好きだったようで、というのは電話とか、ましてや電子メールなどという手段がなかった頃、ちょっと離れた場所にいる人と交信するには手紙しかなかった訳ですが、それでもショパンはきっとおしゃべり好きな人だったろうと想像できます。若い頃の友人とのやりとりは読んでいて楽しく、言葉の遊びや冗談、皮肉などを取り混ぜて、時にはイタリア語やフランス語さらにはラテン語まで使っているので、ショパンが如何に良い教育を受けて教養を身につけていたかが分かります。一方、ショパンは躁鬱病の気があったようですし、癇癪持ちだったことなどは弟子達の証言にもあり、手紙の中からこのような1面も窺い知ることができます。
また、家族への手紙には些細な出来事や、身の回りの茶飯事など、よほどショパンに対する個人的な関心がなければ興味を持てないようなことが長々と書かれています。
しかしながらよく読めばその中にショパンの人柄が偲ばれてくるのです。
そこで、私はこの際、暇に任せて、これまで拾い読みしていたアーサー・ヘドレイの著書の日本語版を始めから読み、さらにそこには省略されている手紙あるいは文章はオピエンスキーによる英訳やシドフの著書を参照して、といってもこれはフランス語ですので大苦労ですが、例によっていくつかのジャンルに分類してそのさわりをご紹介することにします(下記のテーブル参照)。ここには作り話の入り込む余地はありません!
*ただし、シドフはショパンに都合の悪い手紙の採録はしなかったということですが、そこまでは追求できません。
兎に角これらを読破するには結構時間が掛かりますから、新聞の連載小説のように少しづつ掲載していくことにします。ですから、追加があったかどうか折に触れて覗いてみてください。
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分類項目
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備考
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ショパンがこんなことに関心を持っていたというのは興味深いことです
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主としてポーランドですが、鋭い、斜に構えた観察眼を示しています
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ワルシャワ時代
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ウイーン滞在中
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| パリ、両親との再会、マヨルカそしてマルセイユに戻るまで | |
| 病との闘い、そしてスコットランド滞在まで | |
| パリに戻って没するまで | |
| パリに行くまで | |
| マヨルカ滞在中から作品43まで | |
| 作品44から50まで | |
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作品51から65まで
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| シュトゥットガルト手記 | ワルシャワ陥落を知ったショパンの悲痛な叫び |
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印税はショパンにとって主要な収入でした。細かい、細かい!
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パリで贅沢な暮らしをしていたショパン、いくら収入があっても足りない
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各地での見聞、経験を綴る
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冗談の好きなショパン、ユーモアたっぷりの描写
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ポーランド人の誇りを保ったショパン
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友人、知己の人物批評
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音楽家達を評価あるいは批判する
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| 演奏家と演奏の批評 | |
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晩年訪れたイギリスに辟易するショパン
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| シャファルニア通信 | 少年時代に発行した通信 |
ここで視点を変えて、シドフの編纂したショパン書簡集に従って、年代順にショパンが家族や友人宛に出した手紙の数を調べてみましょう。
年 |
数 |
(家族へ) |
(恩師・友人・知己へ) |
備考 |
| 1816年 | 1 | 1 | ||
| 1817年 | 2 | 2 | ||
| 1818年 | 1 | 1 | ||
| 1823年 | 1 | 1 | ||
| 1824年 | 9 | 7 | 2 | |
| 1825年 | 8 | 1 | 7 | |
| 1826年 | 7 | 7 | ||
| 1827年 | 3 | 3 | ||
| 1828年 | 5 |
3 |
2 |
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| 1829年 | 11 |
7 |
4 |
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| 1830年 | 19 |
5 |
14 |
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| 1831年 | 13 |
5 |
8 |
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| 1832年 | 5 |
1 |
4 |
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| 1833年 | 5 |
5 |
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| 1834年 | 2 |
2 |
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| 1835年 | 3 |
1 |
2 |
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| 1836年 | 9 |
2 |
7 |
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| 1837年 | 12 |
12 |
ヴォジンスカヤ夫人へ5通 | |
| 1838年 | 12 |
12 |
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| 1839年 | 36 |
36 |
フォンタナ宛に16通 | |
| 1840年 | 6 |
6 |
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| 1841年 | 32 |
32 |
フォンタナ宛に19通 | |
| 1842年 | 16 |
16 |
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| 1843年 | 17 |
17 |
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| 1844年 | 30 |
2 |
28 |
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| 1845年 | 27 |
3 |
24 |
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| 1846年 | 19 |
1 |
18 |
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| 1847年 | 31 |
3 |
28 |
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| 1848年 | 46 |
2 |
44 |
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| 1849年 | 24 |
1 |
23 |