ピアノコンチェルト

  

ショパンはピアノコンチェルトを2曲書きました。いずれもワルシャワ時代、10代後半の頃の作品です。
そのころショパンはオーケストラ伴奏付きのピアノ曲を何曲か書いています。コンチェルト以外最も有名なのはモーツアルトのオペラ「ドンジョヴァンニ 」の中のアリア 「ラ・チ・ダレム・ラ・マノ」 をテーマとした変奏曲(作品2)ですが、このほか 2曲あります。

ショパンは幼少の頃からその素晴らしい技巧と音楽性が高く評価され、ワルシャワ社交界の寵児となりました。
若くしてコンサートに招かれ、リースとかフンメルのコンチェルトを弾いて絶賛を浴びました。ワルシャワ音楽院(コンセルヴァトアール)在学中に既にオーケストラ伴奏付きのピアノ曲を作曲しましたが、プロの音楽家(ピアニスト兼作曲家)としてデビューするには自作のコンチェルトを必要としたのでしょう。
コンセルヴァトアール卒業後直ちに着手したのが第2番です。後で述べますが出版社の都合で第1番の後になりましたが、最初に書いたのが第2番です。

ショパンが1829年にウイーンで絶賛を浴びて帰ってきたことを知って、ワルシャワの楽壇はショパンの故郷ワルシャワでの公開演奏を期待しました。
周囲からの要望もあって、ショパンは第2番を書き上げ、小規模編成の室内オーケストラでリハーサルした後コンサートで発表しました。1830年3月17日のことです。その5日後第2回のコンサートが開かれ再度演奏して聴衆を魅了しました。
その後直ちに2番目のコンチェルトに着手しました。これが現在の第1番です。ショパン自身、この曲を第2コンチェルトと呼んでいます。その年(1830年)ショパンは数年の予定で外国に演奏旅行を計画し、それに先だってコンチェルトの初演を兼ねたコンサートを開きました。その翌月ショパンはワルシャワを去りウイーンに向けて旅立ちますが、これがポーランドへの永遠の別れとなったのです。

この2曲についてのデータを下表に掲げます。

 

作品番号 作曲年
拍子
調性
速度指定
小節数
21
1829
第1楽章
ヘ短調
Maestoso
348
第2楽章
変イ長調
Largetto
97
第3楽章
ヘ短調
Alleogro vivace
514
11
1830
第1楽章
ホ短調
Allegro maestoso
689
第2楽章
ホ長調
ROMANCE Larghetto
126
第3楽章
ホ長調
RONDO Vivace
646

 

   

2曲は相次いで書かれたので、その構成はよく似ています。
第1楽章は古典的コンチェルトの形で、まずオーケストラがトゥッティで第1主題と第2主題を提示し、それが一通り終わるとピアノソロが始まるのです。これは19世紀前半の4半世紀に活躍したフンメル、リース、カルクブレンナー達の世代に代表されるブリランテ様式のコンチェルトから生まれたものといわれています。しかしこれはさらに遡ればモーツアルトに行き着くのです。
ショパンはこの様式に忠実に従っていると思います。ただし現代的感覚からすると前奏部分はやや冗長ですね。

ところで、シューマンはその著「音楽と音楽家」の中で協奏曲という章を起こしてショパンの協奏曲に触れていますが、その章の副題は
フレデリック・ショパン
オーケストラの伴奏を持ったピアノのための協奏曲

となっています。正に言い得ているという感じです。つまりショパンのコンチェルトは協奏ではなく、オーケストラはピアノの伴奏の役を果たしているに過ぎないのです。これは実はブリランテ様式の特徴だったわけで、ショパンはオーケストラ・パートが貧弱だという批評はこの様式に対する無知から来ているのです。

また、ショパンは管弦楽法を知らないとか、下手だなどといわれていますが、これについては八代秋雄との対談で小林仁が反論しています。これは「ムジカノーヴァ」の1974年1月号に掲載されていますが、バックナンバーを調べるのも大変かと思いますので、議論が面白いので要点を採録しましょう:
矢代 ・・・ただ、ショパンのコンチェルトはオーケストレーションがまずいと言うことも事実だけど、オーケストラのメンバーにとって、弾いていてちっとも楽しくないから、あんまり一生懸命弾かない。だから悪循環しちゃって、いやが上にもオーケストラの鳴りが悪くなることもあるようです。だって、ワルシャワ・フィルハーモニーが弾くとあの曲のオーケストラの部分がとてもいいんです。・・・

小林 でも、あのオーケストレーション、ほんとにまずいんですかね。僕は専門的なことしか分からないけれども、決してまずいとは思わない。僕はあれ以上にもいかにもあり得ないという気がするんだけど

矢代 ピアノが入ってくればいいんだけれども、大きなトゥッティの書き方は下手というか、よく鳴るようには書かれていません。

小林 そうですかね。たとえば、1番のコンチェルトね。頭から弦楽合奏に、それからクラリネットが入って、オーボエ、フルートがはいってきて、だんだんせり上がってくる。こういう書き方というのは、並大抵のアイデアじゃちょっと出来ないと思うのだけれども。それには、 フルートの音域が低すぎて鳴らないということも、もちろんあると思うけれども、それにも拘わらずあれよりよい方法があるとも思えない。

矢代 アイデアはいいんですよ。ただね、大きいトゥッティのバランスは悪いですね。

小林 そうですかね。

矢代 それからショパンの音感は、極端にピアノ的なんですよ。オーケストラの楽器に対しても音の高低と、音色しか念頭にないのね。だから音の緊張力に対してずいぶん配慮が欠けているんです。これはピアノから作曲に入った人によくあるケースです。

小林 そういうものですかね。

矢代 たとえば、真ん中のCは、ヴァイオリンで弾くと低くゆったりとした音に聞こえる。コントラバスで弾くと、これ以上高い音は出せないという切迫した感じになるでしょう。これなんですよ。
ピアノは真ん中のCだって、加線2本の高いCだって、要するに高いか低いかしかない訳なんですーたとえば、1番のコンチェルトの中で、ピアノが第2主題を弾いているときホルンが対旋律を吹きますが、高いHの音はこの場合の対旋律の音としては明瞭に高すぎて緊張がありすぎると思います。
ショパンにしてみれば何かきれいな音が欲しいーホルンだったらいいだろう、ぐらいで書いたんじゃないかという感じがするんだな。ここでホルンが欲しいという気持ちは分かるけど、高いHの音の緊張力というものが計算されてないんです。
       *理解のためにこの議論の部分を示します。
ホルンはE管です。ホ長調のソ音はHです。

 

 

 

 

 


小林  それはわかるけれども、それじゃホルン以外の楽器だったら何でやらせるか・・・・というと、ないでしょう。たとえば、クラリネットだったらもっと楽に出るわけですよね。じゃあ、クラリネットで構わないかというと、やっぱり困るんですよね。

矢代  でもね、ホルンよりはいいんじゃないかしら。ここでバックになるものがそんなに緊張しなくてもいい場所です。何かきれいな音が欲しいという考えなんじゃないかしら。

小林   でもね、ホルンという楽器はクラリネットみたいに機動力がないですよね。逆に、ピアノソロを弾きながら、「幾分オーケストラに足を取られながら弾く楽しさ」というのがあるんですよ。ここは実にそれにピッタリしているんですよ。だから、これをクラリネットで訳なくやられちゃうとちょっと物足りないという気もするんです。だからその意味での発想は大事にしなきゃいけないと思うから、これは他の楽器でやらせたらどうにも格好付かないと思う。

・・・・・

といった具合ですが、作曲家とピアニストの見解の違いが面白い。

 

2つのコンチェルトを比べると、いくつかの点で類似点があることが分かります。
まず第1楽章の第1主題のモチーフがよく似ているのに気付きます(譜例1)。
譜例1
  作曲時期が近いとどうしても似てしまうのでしょうか。

 また第2楽章はいずれもLarghetto のテンポ指定で、ロマンティックなムードを醸 し出します。 ショパン自身これらについて友人への手紙で言及しています。

 

しかし、第3楽章は明らかに違います。いずれもポーランド舞曲ですが、第2番はマズルカで3拍子、第1番はクラコヴィアクで2拍子です。

 

この2曲には共通点が多いので、これらを双子のコンチェルトと呼ぶ人もありますが、双子だって何から何まで同じというわけではありますまい。これから比べてみましょう。

なお、コンチェルトの演奏技術を高めるためにショパンはエチュード作品10を書いたといわれています。言い換えれば、コンチェルトのパッセージを素材としてエチュードを作曲したともいえます。
その証拠となる箇所を探してみました。

               第2番         第1番      コンチェルトとエチュード