プレリュード

ショパンは有名な24のプレリュード、作品28のほかにもう1曲出版されています(作品45)。さらにリストの友人ヴォルフ(Pierre Wolff)に贈ったが、出版に至らなかったもう1曲があります。この曲は1918年にジュネーブで出版されるまで 世に出ませんでした。サンサーンスは余り評価しなかったようですが、軽やかな小曲でアンコール向きと思います。

作品45については、ショパンは1841年9月30日付でノーアンからパリに住む友人のフォンタナに宛てた手紙に「・・・・シュレジンガーのために嬰ハ短調のプレリュードを作曲した。彼の希望で短いものだ。このプレリュードは新年にメヘッティの”ベートーヴェン記念集”に同時に発表するものだからレオには渡さないでください。明日、メヘッティに手紙で、彼のアルバムには、彼が希望したマズルカはもう古くなったから、何か短いものが欲しいというなら新しいプレリュードを提供してもいいのだがと言ってやるつもりです。転調がうまくいっていますから、送るの躊躇しません。・・・・」と書いています。ショパンが自曲の内容に言及するのは大変珍しいことです。
続いて10月6日付で フォンタナ宛て「・・・プレリュードを送ります。大きな符号のがシュレジンガー、小さなのがメヘッティです。僕のメヘッティ宛ての手紙を同封します。これをレオに渡すときメヘッティが待っているから速達で出すよう言ってください。・・・」、さらに10月9日付で作品が着いたか確認の手紙を書いています。このころのショパンは創作意欲が旺盛でしたが、フォンタナに次から次に写譜や出版手続きを依頼し、細々と注文を付けています。

1839年にベートーヴェンの記念碑を彼の生誕地ボンに建立する計画が立てられ、各方面の人たちが募金集めに協力したのですが、メヘッティもそれに寄与するために”ベートーヴェン記念集”を出版することにしたのです。この曲集にはショパンのプレリュードのほかメンデルスゾーンの厳粛な変奏曲なども含まれています。因みにリストがこの事業に献身的に協力したことはよく知られています。

さて、この曲の出だし は譜例1の通りです。
 譜例1
 

最初の3小節は6の和音で音階的に下降していきますが、イオニアではなくフリギア旋法を使っています。これが終わるとこの曲の主たるモチーフが始まります。譜例で赤で囲った最初の部分です。これが繰り返されるとき最後の部分をちょっともじって嬰ハ短調からロ長調に転調します。このようにしてショパンが予告したように次から次へめまぐるしく転調が続いていきます。この後第2のモチーフ が現れ、第1のモチーフと彩なしていきます(譜例2)。
 譜例2
  

最初に赤で囲んだところの転調は見事です。このようなパッセージが綿々と続いた後最初に戻りますが、続いて次のようなカデンツァに入ります(譜例3)。
 譜例3
 

この曲を作ったバックグラウンドからして、なにやらリストを意識しているのではないかというのは考えすぎでしょうか。

コーダは静かに飛翔して終わります。

この曲についてはこの辺で終わり、いよいよ本題の作品28に進みます。

その前に重大ニュース!
アメリカのショパン研究者、ペンシルヴァニア大学のJeffrey Kallberg 教授がショパンが書いた変ホ短調のプレリュードの速記法で書いた原稿を解読する事に成功したのです。コールバーグ教授はこの曲をタルティーニのヴァイオリンソナタに因んで「悪魔のトリル」プレリュード と名付けました。33(31?)小節の小曲だが完成した曲であり、しかし、およそこれまで知っているショパンらしくないものだという点で興味を惹きます。ちょっと聴いてみてください。
彼は論文執筆のためニューヨークのモーガン図書館で調査中にたまたま見つけ、誰もこの曲の解読に成功していないことを知って自分で研究することにしたのです。 以来20年をかけて勉強を続けました。
これはショパンがマヨルカ島に滞在中に書かれたもので、最初は作品28の第14番とするつもりだったそうです。最初から最後まで左手はトリルを弾き続けます。右手は3連音符です。テンポ指定はありません。
いずれにせよ没後150年以上経った今でも新しい発見があるということはショパン愛好家にとって嬉しいことですね。

作品28へ