ワルツ

ワルツは3拍子(3/4)の舞曲で円舞曲と訳されています。18世紀末にオーストリア、南ドイツに生まれ、19世紀から20世紀初めまで社交ダンスの中で最も人気がありました。その前身はオーストリアの農民舞曲レントラーで、それが洗練されてワルツとなり宮廷で踊られるようになったといわれています。これを大衆音楽のレベルにまで広めたのがヨハン・シュトラウス父子でした。所謂ウインナワルツです。
ワルツはウイーンのみでなくヨーロッパ各地で踊られるようになりました。 ワルシャワの宮廷でも当然踊られていたことでしょう。なぜならばショパンはワルシャワ時代にいくつかのワルツを作曲しているからです。1827年に作曲した変イ長調のワルツはショパンの恩師エルスナーの娘エミリー・エルスナー所有のアルバムの中で発見され1902年に出版されました。1828年にニ短調、1829年にはホ長調のワルツを作曲したことが、姉のルドヴィカが作成したリストに記載されていますが、前者の草稿は紛失され、後者は1871年に出版されました。また、1830年5月15日付の友人ティトゥス宛の手紙に書かれている”予告編”はホ短調で1868年に出版され、よく弾かれる曲となりました。
その他、ショパンは折に触れてワルツを作曲していますが、生前は出版に値しないと思っていたようです。フォンタナはその遺志に背いてショパンの死後、作品番号も年代とは無関係に出版しました。そのお陰で我々はショパンの魅力に満ちた小品を見聴きすることができます。

ショパンは1830年11月にウイーンに着きましたが、ベートーヴェンの死後3年、シューベルト死後2年にしてこれらの大作曲家は忘れ去られ、ウインナワルツの全盛時代になっていました。12月22日に家族に送った手紙の中で「・・・ウイーンの人の色々な楽しみで一番有名なのはホテルでの夕食のかたわらシュトラウスやランナー(彼らはウイーンのシフィエシェフスキです*)がワルツを演奏することです。ワルツが1曲終わる毎にものすごい喝采です。「クオドリベート(Quodlibet)」つまりオペラの美しい調べや歌や、舞踏曲のメドレーの演奏となると、聴衆は大喜びで押さえがつかぬ位です。これは正にウイーンの大衆の趣味がどんなに堕落しているかを物語っています。・・・書き上げたワルツをお送りしたいのですがもう夜も遅くなってしまいました。この次にでもお送りします。・・これでダンスをするための曲ではないのです。」と書いています。これは変ロ長調で姉のルドヴィカが作成したリストに記載されていますが、草稿は紛失されました。
  * シフィエシェフスキはワルシャワでダンスの伴奏をしたり通俗的な曲を書いていた2流音楽家。
ショパンはマズルカと同様にワルツも踊るための曲は書かないと決めていたのです。ウインナワルツのように2拍目を延ばして弾いたら、左手はメトロノームといっていたショパンはきっと真っ赤になって怒るでしょう。

余談になりますが、ディヌ・リパッティという希有の天才ピアニストがいました。1950年に33才の若さで世を去りましたが、未だに彼の CD が発売されています。その高貴な演奏は未だに聴く人を魅了して已みません。先日、たまたま、レコード店で「クララ・ハスキルとディヌ・リパッティへのオマージュ」という二枚組の CD を見つけ、早速買って聴いてみましたが、そこにはジュネーヴの放送局でのフランソワ・マニャナという人とのインタヴューの録音が入っていたのです。その中でーこれはフランス語ですから分からないので解説を読んだのですがー彼はこういっています:
ジュネーヴ放送局がバッハのパルティータ第1番の録音をしてくれましたが、これは直ぐできました。ほとんどやり直しなしです。ショパンのワルツでは1曲の録音に午前中一杯費やしたのとは大違いです。
リパッティのその言葉を知って、今まで他の曲に比べて軽く見ていたワルツについてもう1度よく聴くことにしました。

ショパンの生前出版されたワルツは次の8曲です:

作品番号
枝番
調性
小節数
テンポ指定
献呈
作曲年
出版年
1
18
変ホ長調
307
vivo
Laura Horsfield 1831 1834
2
34
1
変イ長調
305
Vivace
J. de Thun-Hohenstein 1835 1838
3
2
イ短調
204
Lento
C. D'Ivry 男爵夫人 1831 1838
4
3
ヘ長調
173
Vivace
d'Eichtel 嬢 1838 1838
5
42
変イ長調
289
-
1840 1840
6
64
1
変ニ長調
204
Molto vivace
Potocka 伯爵夫人 1846-7 1847
7
2
嬰ハ短調
192
Tempo guisto
Rothschild 男爵夫人 1846-7 1847
8
3
変イ長調
171
Moderato
Branicka 伯爵夫人 1846-7 1847


ショパンが生前出版しなかった作品で、死後フォンタナの手によって出版されたのが下記の5曲です。

作品番号
枝番
調性
小節数
テンポ指定
備考
作曲年
出版年
9
69
1
変イ長調

64(ダカーポ)
128(フォンタナ)

Temp di Valse
Lento

マリアへの別れ 1835 1855
10
2
ロ短調 80(ダカーポ)
176(フォンタナ)

Moderato
  1829 1852
11
70
1
変ト長調 40(ダカーポ)
96(フォンタナ)

Molto vivace
BI 92 1829 1855
12
2
ヘ短調 72
124(フォンタナ)

Temp guisto
BI 138 1841 1855
13
3
変ニ長調 72(ダカーポ) Moderato BI 40 コンスタンチアのために作曲  1829 1855

モーリス・ブラウンが年代順に整理して番号を付けたのが有名なブラウン・インデックス (BI) で、上記以外に次の6曲があります。この内16番(ヘンレ版)が有名です。

作品番号
調性
小節数
テンポ指定
備考
作曲年
出版年
14
BI 21
変イ長調 49(ダカーポ) Lento   1827 1902
15
BI 44
ホ長調 124 Tempo di Valse   1829 1871
16
BI 56
ホ短調 131   1830 1868
17
BI 150
イ短調 56 Allegretto   1843 1855
18
BI 133
変ホ長調 24 Sostenuto   1840 1955
19
BI 46
変ホ長調 72     1829 1902

リパッティはその短い生涯でショパンのワルツ集のレコードを2枚出しています。しかも作品番号順ではなく自分なりの並べ方で纏めています。彼の演奏曲順は4−5−6−9−7ー11−10−14−3−8−12−13−1−2の通りです。なお、1950年9月16日にブザンソンで開かれた最後のリサイタルのレコードでは第2番が録音されていません。当時体力が衰弱していたリパッティはプログラムの最後に置かれたこの曲を弾く事ができなかったそうです。又、曲順も5-6-9-7-11-10-14-3-4-12-13-8-1となっています。
そこで、この最初の順番に従ってワルツを見ることにしました。

第4番

最後にまとめを書きました。