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ドラクロア
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Delacroix
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ユージェーヌ
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Eugene
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生年
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1793
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没年
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1863
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画家。フランス革命で活躍したシャルルを父に、家具師の娘ビクトアールを母として生まれたが、本当はタレーランが父親だといわれている。
キオス島の虐殺、民衆を導く自由の女神など政治的な題材を選びロマン主義の旗頭となる。
1832年、リストの家でショパンに紹介されるが、それ以前にジョルジュ・サンドとは知り合っていて彼女の熱烈なファンだった。以後、長年に亘ってショパンの最も親しい友人の一人となる。彼はショパンの天才を認め敬服していたが、ショパンは彼の画風を好まなかった。保守的なショパンは、ドラクロアよりもむしろ彼のライバルのアングルの方を好んでいたのだ。ショパンが滞在しているノーアンのサンドの館を屡々訪れ、音楽について又芸術一般についてショパンと親しく語り合った。ショパンのように恵まれた境遇に育たなかった彼は友人も少なかったし、音楽を好んでいたのでショパンとはうまがあったのである。1842年6月7日付でノーアンからパリの友人に宛てた手紙の中で「・・・・ショパンと何時までも話した。僕は大好きだ。稀にみる傑出した人物だ。彼は僕があった最高の真の芸術家だ。称賛に値し、高い価値を持つ数少ない人だ。・・・」と書いている。彼はショパンがモーツアルトと同様に真のオリジナリティーと作曲の完全性を備えていると高く評価した。
1840年で42歳になった彼は若い頃のロマン主義の画風から古典派に近付いていった。1845年にはショパンと連れだって、モーツアルトのレクイエムとハイドンの天地創造を聴きにコンサートに行っている。
ショパンとサンドとの間が決裂してしまった後、ドラクロアは彼を慰めるために手を尽くした。