ショパンの音楽が美しく、魅惑的で、聴く人を惹きつけて已まないとはいえ、ショパンの人間像については、色々な伝記を読むと伝記作家や評論家のおかれている環境、例えばポーランド生まれとか、音楽観、思想的バックグラウンドなどによって観点が異なり、ある意味ではとても面白いけれど、本当はどんな人だったのか知りたくなってきます。本当は、といっても誰も知る由もないのですが。

興味深いのは、ショパンの伝記もショパン側に立って書いたものはジョルジュ・サンドは悪女扱いであり、逆にサンド側に立って書いたものはショパンは気むずかしく癇癪持ちに描かれていることです。このように見る側を変えると全体像が浮かび上がってきます。

ショパンに関するエピソードに作り話が沢山あることで、ショパンを美化するのはいいけれど嘘はいやなので分かる範囲でそれを指摘しました。少しずつショパンの姿を見ていきます。

 

ショパンは故郷のポーランドでもパリに出てからも多くの人々と知り合いになりました。ポーランドから亡命した人々もパリに集まりました。これらの人々がショパンとどの様に付き合ったかを知れば、ショパンの生き様を垣間見ることができると思ってショパンの人名録を作ってみました。

彼が演奏家としてよりも作曲家としての道を選んだ後の交友関係には興味があります。生計を立てるために多くの、主としてレッスン料を多く貰える貴族の子女にピアノを教えましたがーそれは単に収入を増やすためだけではなく、彼の音楽の伝承のためでもありましたー、作品の出版における印税も主な収入源でした。 そのためには出版業者との駆け引きも重要だったのです。

ショパンが自分の曲をどんな人に献呈したかを知ることによって交友関係を窺うことができるでしょう。


ショパンが家族や友人に宛てた手紙には日常茶飯事が多く書かれていますが、これを丹念に読んでいくと生身のショパンが見えてきます。そこで私流に内容を分類、整理してみました。彼が如何に家族を大事に思っていたか、またどんなにユーモアに富んでいたか、鋭い批評眼を持っていたか、またいささか躁鬱症であり、また癇癪持ちだったかなどが手紙の中から浮き彫りになってきます。

ショパンも人の子、楽譜の出版で収入を得る以上、いかにして高く売りつけようとしたかということも分かります。