ショパンの音楽に魅せられて
ピアノを習い始めて少し上達すると先生がショパンの曲を下さいます。人によって異なるでしょうが、最初はまずワルツでしょう。それからノクターン、プレリュード、そしてエチュードのいくつかへ進んでいきます。 ショパンの音楽を感傷的と表現するのは間違いです。それを聴いてセンチメンタルになるのは勝手ですが、ショパンは決してそんな、おセンチな作曲家ではありません。彼の音楽の本質は歌です。その歌は時に喜びを、悲しみを、苦しみを、悩みを、怒りを歌詞のないピアノ曲として表現するのです。抒情的というのは正しい表現でしょう。あえて言えばジャールの表現です。 ショパンの名曲としてよく挙げられるのが作品9の2のノクターン、作品64の1の通称小犬のワルツでしょうが、このようないわば通俗的な曲がショパンの最高傑作といえるかどうか。余談になりますが昔シューマンとクララの愛を描いた映画で、トロイメライがシューマンの大傑作として取り上げられていたので苦笑したことを思い出します。 ところで、マズルカはそのかわいらしい小品を除けば、先生の教材には入っていないようですね。私も15年程前からやっとマズルカがショパンの神髄であることが分かりました。汲めども尽きない泉です。そして他の大作に比べてそれほど演奏が難しくないのも、アマチュアピアニストにとっては大助かり?です。
よく「百聞は一見に如かず」といいますが、音楽に関する限りこれは逆で「百見は一聞に如かず」だといえます。楽譜を見ても音が響いて来ないのでよく鑑賞できません。そこでここで紹介する譜例の1部には、本来は古くはコルトー、リパッティからアルゲリッチ、ポリーニ、そしてペルルミュテルさらにキーシン達の名演奏を聴いて頂きたいのですが、著作権の関係から私の拙い演奏を入れ込みました。お耳苦しいところがあろうかと思いますがどうぞご容赦下さい。 作曲家に敬意を表して出だしから最後の1小節まで襟を正して聴くというのが正しい鑑賞法かもしれませんが、この曲のここが素晴らしいとか、とても気に入ったとかいって、そこを聴きたいためにその曲を聴くという人が多いのではないでしょうか。たとえばベートーベンの交響曲第5番をあの出だしー因みにこれは指揮者泣かせのようですねーから第4楽章の終わりまで聴く人よりも、極端に言えば「運命が扉を叩く」ダダダダ〜ンが第5だと思っている人の方が圧倒的に多いでしょう。 ショパンの曲にはこのようなフレーズが至る所に出てくるのです。何となく聞き流していてもショパンの素晴らしい音楽に浸れるのですが、詮索していくと驚かされることがあります。シューマンがマズルカは花の中に隠された大砲であると評したのは有名ですが、私はショパンは至る所に地雷を埋めていると言いたいです。これは気が付かないと踏みつけて死んで、つまり“さよなら”して、どこかに行ってしまいますが、地雷探知機を持って丹念に探し回ると、すごい「危険物」を発見できます。これを発見すると溜息が出るほどの嬉しさが浮かび上がっていきます。 マズルカから始め、エチュード集、プレリュード集に進みます。”集”といえるのはこれだけです。ポロネーズ、ワルツ、ノクターンなどは何曲もありますがこれらは私は”集”のジャンルに入れません。これら全てを統一する理念が見あたらないからです。でも全て珠玉のような名曲ですね。 これは作品論ではありません。敢えていえば【作品考】です。特にバラードについては私の持論を展開しました。私のエッセーからショパンの作品をもっと愛でていただけるようになったら望外の喜びです。 |