ショパンの人名録へのお誘い

色々な人の伝記を読むと、通常はその人と関わりのあった人々の名前が、本文に現れるページと併せて索引に記載されています。

そうするとかなり熱心な人、あるいは類書をものしようと考えている人でない限り索引から本文に戻って読むということはしないでしょう。

ショパンが生涯関わりを持った人々には、ワルシャワ時代からの友人、パリのサロンで知り合った上流社会の人々(女性が多かったのは当然か?)、画家、作家などの芸術家、ジョルジュ・サンドを通じて知り合った社会主義者達など広範囲に亘ります。

へえー、そんな人とも知り合いだったのかと驚くこともあります。

ここでは、逆転の思考で、ショパンの住所録を仮想して人名録を作ってみました。肖像画付きです。顔が見えるとどんな人か想像できるのではないかと思いますので(なお、肖像画の多くはワルシャワのショパン博物館所蔵品のコピーを加工したものです)。
ショパンとの関わりに応じて分類しましたので、興味に従ってご覧下さい。

見たことも聞いたこともない人名も多いでしょうが、一体これは誰?と思っても一寸覗いてみてください。そこからショパンの顔が見えてきます。できる限りショパンの手紙を参照して、私見を余り挟まないように心がけました。それが難しいときにはいくつかの文献を調べて間違いがないようにしました。

ショパンの伝記は19世紀以来山ほど出版されていますが、中には勝手に創作したエピソードや、間違った記述が散見されるようです。それらを洗いざらい暴露した興味深い本があります:Adam Harasowski: The Skein of Legends around CHOPIN, William MacLellan,Scottland, 1967

逆に、著名人も出てきます。こんな人とショパンはどういう関わりを持ったのだろうと不思議に思われたら訪ねて下さい。例外的にショパンが会ったことがない人もいます。バッハとベートーヴェンです。この2人はどうしても入れたかったのです。おそらく多くの方はこの2人の偉大な作曲家とショパンとを結びつける発想が浮かばないのではないかと思うからです。
ではモーツアルトは?と当然訊かれるでしょうが、ショパンは、不埒なドンジョヴァンニが花嫁になろうとする純情な田舎娘を誘惑する有名なアリア、1度聴いたら忘れられないあのメロディー、をテーマとしたオーケストラ伴奏付きの変奏曲、作品2を作曲したとはいえ、その後の作品にはモーツアルトの姿が見えないのです。ただし、テンポルバート奏法に付いては先駆者でした。ショパンにとってモーツアルトは崇拝の対象だったのでしょう、葬儀にはそのレクイエムをと依頼しました。

ところで外国人の名前を日本読みにするには多くの困難が伴います。ギョエテとは俺のことかとゲーテが言い、などというのは古い話ですが、大体母音が5つしかない日本語で外国人の名前をちゃんと発音することなど不可能なことです。このサイトでも従来の習慣に従って、いわば「適当に」書いていますが、それでもなるべく原語に近い表記にしたいと思っています。最近当地でポーランド人と知り合いになったので、ポーランド人の名前の呼び方について少々教わりました。グルジマワはむしろグジマワと言った方が近いらしいです。
また、ポーランド人ではないが、従来フランショームといわれていた人はフランコームというのが正しいとのことです。その他いくつかの指摘がありましたが、いずれにせよ、正確に日本語で表すのは不可能と思いますので余り拘らないことにします。

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  *小さな変更を随時行っていますので、1度読んだものでも時々ご覧下さい。追加情報があります。